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根っこの部分はひきこもり

大木の根元に座る人

ときどき思う 自分がいわゆる普通の人になれたわけではない、と。

果たして私は「ひきこもり」から抜けたのか?
~概ね家庭にとどまっている~ という定義からはいくらか遠ざかったかもしれないけど(+_+)

心理的には落ち込んでこれはヤバいかもという状況は現在までも何度もある。
いちおう、就労という言葉を隠れ蓑にすることに成功しただけでひきこもりだったころの
自分と、今の自分が表面的には変化してきても大本の部分は変わらない気がします。

人と接することに関しては挨拶や言葉遣いをこうしましょう、考え方を見直してみよう、みたいに
本を読んだりして技術でカバーできるところもあるので、あとは若者サポートステーションなどの
プログラムに参加して、場数を踏んでいってなんとなく人と共同で過ごす場に行くことに慣れて
いったり、苦手としていることを取り繕う方法はあるのでそれを習得する努力はしましたが。

それでもときどき理由もなく(ほんとは何かあるんだけどあとで分かることがほとんど)人を苦手に
することがあったりしてその不安感に対処するのが大変だなと感じたりします。

人は人、自分は自分、という言葉がありますが自分を自分で受け入れる、引き受ける ということ
は本当に難しいことです。若いうちはなおさらそうかも。

他人のものさしで自分を測るなと言われたりしますが、他者と比較して奮起するのはそれで自分が
やる気を出せると分かっているタイプの元気な人がやることで、少し底のほうから少しずつ歩みを
進めていく私にできる芸当ではないからです。


ただひきこもる人も色んなタイプがいるので、何につまづいて何を契機にひきこもりになるのかは
様々だけど、振り返ってみれば自分が今まで上手くいかなかったときにはなにか共通点があるかも
しれない。

ときどきそんなことを考えてみることもあります。逆にどんなときは落ち着いて過ごせていたのか
も。そういった材料があると自分を立て直すときに役に立つかも。

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