ひきこもりの時期から少し遠ざかった今もときどき、その時代を思い出します。
なんか、社会から置いて行かれているようで辛いという気持ちはもちろんあるのですが、
そこで傷ついたことから距離を取ることができてホッとする瞬間もあるわけで。
よくも悪くも一旦切り替えが必要だったんだろう(´-`).。oO
そんなことから私としては「ひきこもり」は人生の休業だったんじゃないかと思っています。
そうしなければ自分の身を守れないかも、と感じて危機的状況からいちおう安全な場所への
逃避を試みたということなのだろう。
ストレスに感じていたことがだんだん大きくなって、仕事辞めたいと思い始めたけどどう
すればいいのか分からなくて、そうこうしている内に体に症状が出て、どうしようもなく
ある意味強制的な休業ではあったけど、そのときはそのときで自由だったのかな
(ある程度自由にさせてもらえたということで親に対する感謝も込めて)。
それまでは休むに休めなかった。仕事に穴をあけちゃいけないという責任感もあるし、でももう
あの空間にいる事が辛くて、仕事ができない自分はなんてダメな人間なんだろうと考えちゃって
休日も動けないし、でも辞めさせてくださいという勇気もないし、何もかもどうすればいいのか
分からなくなりました。
それでドクターストップをかけてもらったことで休職することになったわけですが、長期に
渡って休むことはもちろん申し訳ない思いもあるし、結局は責任感から気が休まらない、と
いうこともあります。
ですが、今まで大変な思いをしてきた作業や空間から直接受けるストレスを少しでも減らし、
何もしないことを学ぶ時間になっていきました。
休職中や不登校でも気分がよいと感じられるなら趣味の活動をしたりしてもいいんですけど、
精神的な体力が枯渇しているときは単に友人や支援してくれる人と会うだけでも疲れちゃう
ので、小さなことから積み重ねていって、まずは見かけの体力だけでも日常生活を送れる
ところまでもっていくのが第一なので。
なのでやっぱり休むのは大事なんです。
大事なのは大事
焦りますし、不安にもなりますよね。
そこからは「自分と向き合う」という精神的な体力が要る工程になってくるのかな。
家族との関わり・外との関わり・適切な目標設定・ストレスへの対処 など。。
今日はなんかいろいろ書いちゃいましたけど、まとまってないかもしれません。
ただ、ひきこもり期間についてはもう二度と戻りたくない、というハングリー精神を持つのも
いいんだけど、自分を受け入れるという意味で、経験したからこそいつでもそこに戻っていい
んだというふんわりした安心感みたいな、相反する感情も同時に持ってていいんだと思います。
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