何かに打ち込んでいる人を見て自分も頑張ろう、私も挑戦してみよう、というような
当たり前と言えば当たり前の感情。
ただそうもいかないのが精神的に疲れ切っているとき。
周囲の人達を見て自分が同じように頑張れないのが惨めだ、辛い、となっていました。
自分が物理的にも精神的にも同じようなところを行ったり来たりで、これが何になるのか
一生このままだったらどうしようとか、ひきこもっていたときにそういう不安をもって
いた気がします。
頑張っている人を肯定するのと、今の自分とはまた別物なんだけど、そこがそうは思えなくて
そういうときって大抵できもしない高い目標と比較してまたエネルギーを削がれて…
今もそれは無くなったわけじゃないけどその作業をして無駄に疲れ切ることは避けたい、という気持ち
が強くなってきたのかもしれないです。
頑張っている人は本人がやりたくてそうしているんだから、と一歩引いた目線で見られるように。
そして自分だって 生きている=日々生きるために力を使っている ということなのだから
そこは努力してるってことでいいんだ、と。
努力の範囲をもっともっと拡大解釈して自分もそこにねじ込む。自分の力を認めてあげる。
方向性が違っても力の使いどころはいろいろあるわけで、それによって負うダメージや回復の
仕方も人それぞれ。なるべくなら短期間で結果を出したい欲もあるけど、そうでもないことも
生きていれば何となく分かってくる。
そうはいっても分かったつもりで、気付いたらまたもがいているのも人間的なんですけどね。
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